エジソン 発明 電球
エジソンという人物

エジソンはどんな人物だったか

歴史に名を残すほどの偉業を成し遂げた人物というものは、
どこか普通の人とはかけ離れたものを何かしらの形で持ってい
るものです。例えば、生まれや育ち方の違い、子供の頃に興味を示したもの、学校生活、性格といった様々な要素にその片鱗が見られるものです。
エジソンもその例外ではなく、波乱万丈な少年期を過ごしたことが知られています。

エジソンの人格を形成したものとは

幼少期のエジソンは、現代で言うところのADHD(注意欠陥多動性障害)やLD(学習障害)やアスペルガー症候群などの障害を持っていたと考えられています。
「なぜなんだろう」という、科学の立脚点となる疑問を強く持っていたため、学校の授業を阻害することがしばしばあったからです。
このため学校から見放され、学校の教師であったエジソンの母が自ら教師役となって家で勉強を教えていたと言われています。

エジソンの「なぜ?」を解消する母の試み

エジソンの母は、エジソンの抱いた「なぜ?」という疑問に対して懇切丁寧に理解できるように説明していたといいます。
これは、子供の能力を引き出す上でも大事な方法であると現代の教育学でも言われているやり方です。
疑問を解消する答えを与えられることは、疑問そのものの仕組みを理解するように考える筋道を与えられることに等しく、子供の考える力を養うには最上の方法だからです。
母親の愛情のこもった教育を受けられたことは、エジソンにとっても私たちにとっても幸福なことであったといえます。

 

少年期から養われたエジソンの挑戦心

また、エジソンは母親の教育を受ける中で科学への興味を強めていきます。母親が教えることの出来ない化学や物理学の知識は、図書館に通って専門書を読み漁ることで身に付けていきました。
こうして身に付けた科学知識は、エジソンを「学校から見放された子」から「疑問を持ったら自分で調べて知ることの出来る子供」へと変えていきました。そしてエジソンが12歳の時には、鉄道の売り子として働くようになったのです。
エジソンは、自分に欠けていた社会性を養い、知らなかったものを知るために働くようになったのです。

 

エジソンと発明の出会い

そしてエジソンが15歳のとき、出入りしていた駅の駅長の息子が列車に轢かれそうになっていた所を間一髪の所で助け出したことが、エジソンのターニングポイントとなります。
駅長は息子の命の恩人に、当時最先端の技術であった電信技術の教授役を買って出てくれたのです。
エジソンはわずか三ヶ月ほどで電信技術を習得し、当時の花形職業である電信技師としてのキャリアをスタートしたのです。
この頃にエジソンは、ファラデーの電磁気学を独学で習得し発明家としての基礎を積み上げています。
そして、エジソンは人生最初の発明を生み出します。
それが「自動電信返答装置」です。当時の電信技師は見入りのいい仕事でしたが、徹夜することがしばしばあったのです。
居眠り癖があったエジソンは、技師が寝ていないかを確認する定時の連絡の時間になると自動的に返信する装置を作って惰眠をむさぼっていたのです。
これはすぐに上司にばれてしまいましたが、エジソンの発明キャリアを語る上で外せないエピソードであると言えます。

 

発明王エジソンを形成したもの

これらのエピソードから、エジソンはとても波乱に満ちた幼少期を送っていたことがわかります。普通の子供は学校に適応することを教師からも親からも求められるのですが、エジソンの場合は母親だけがよき理解者になってくれたと言うことがあります。
母親によって養われた知識に対する自立心は、発明家へのステップとなった電信技師の道を開いたのです。発明王エジソンがあるのも、エジソンの母親の深い愛情であると言えます。


 
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エジソンが抱いていたもの

ただ、この幼児体験の全てが肯定できるものではなかったのは確かです。
後に発明王として名声を積み上げたエジソンの行動に悪評が付きまとったのも事実なのです。エジソンは自分の発明の権利を守るために、類似の発明に対して訴訟を次々に起こしたといわれています。また、電気事業においても頑なに直流方式を主張し、「交流の父」と呼ばれるニコラ・テスラと対立するなかで、交流方式へのネガティブキャンペーンに「処刑には人道的で確実な交流の電気椅子を」とニューヨーク州知事に電気椅子の採用を勧めたという事実があるのです。これらの行動の裏にあるエジソンの心理とは何だったのでしょう?

エジソンの持っていた感情

心理学用語で、行動に影響を与える複数の感情が複合したものを「コンプレックス」と言います。日本語では「劣等感」と翻訳されていますが、コンプレックスは劣等感を含んだ複雑な感情なのです。
エジソンは、一種のコンプレックスを他の発明家たちに抱いていたのです。エジソンは知っての通り、正式な学校教育を受けることなく母親からの指導と独学で専門知識を身に付けるための土壌を養ってきました。つまり、学校で同年代の子供と遊ぶ機会が少なかったのです。実際、エジソンが子供の頃に遊んだ相手は近所の子供や自分の兄弟であったといわれています。
この幼児体験がエジソンに学校コンプレックスと呼ぶべき「学校への嫌悪」「学校への憧れ」などの感情の複合を生み出したのではないでしょうか。エジソンが、執拗に他の発明家たちを訴訟沙汰で攻撃したのも「同じ集合に存在する人間に対する態度」を学校で養うことが出来なかったからといえるのです。

 

エジソンの持っていた自尊心

エジソンは、自分への自信を強く持っていたと考えられています。この自尊心は、母の教育によって知識欲が充足されることで目覚めていったものです。一般に、幼児は自分と周囲の人や物との境界を持っていないといわれています。
この境界は、教育を受けることで発達するものといわれています。幼児はこの境界の発達過程の中で自我を形成していくのです。エジソンの場合、周囲に対しての「なぜ?」という疑問や好奇心を強く持っていたので自分を省みることが少なかったようです。
その為、自尊心が芽生えることで周りに対する攻撃心も同時に芽生えていったのでしょう。エジソンは、学校教育を受けていないことが引け目であると同時に自分の長所であることを証明するために、周りに負けまいとしたのです。

 
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